【日本侵略】「燃えよ、大和魂」                       『新・霊界物語 第百二話』

「理想国家には“言論の自由”がある」、これは当然のことではないだろうか。

 かつてトマス・モアという方が書かれた『ユートピア島』には、もちろんのこと“言論の自由”があった。

 トマス・モアが描いた理想社会にも、“唯物論者”、“無神論者”はいたのだが、しかしそうした人々が世に害毒を流すことがないように、そうした者にのみ、“言論の自由”はなかった。

 しかし唯物論、無神論以外においては、とても寛容な社会であり、トマス・モアが夢見た世の中は、けっして“言論・出版の自由”のない独裁社会ではなかった。

 私は命をかけて訴えている。

 自由に訴えている。

 それは私が選んだ職業が、不正を見て黙っていられない、命を取られるような損なことも平気で行う、そうした生業だからである。

 まさしく命懸けであり、よく人から配されることも少なくない。

 しかし吉田松陰の松下村塾も、個性を尊重しながら教育する塾であり、また長州藩の藩主・毛利敬親という方は、過激な長州藩士たちに対して、「なんでもやれ」とよく言うことから、「そうせい候」と異名をとった。

 自由に、個性を尊重し、なんでもやっていく、これこそが世を変えていく上では、とても大切かと私は思う。

 そして今はたとえ、まだ小さなものであっても、今後、拡大していくにあたって、その中に“自由”が担保されていくことが、大きなものとなった時に、その“自由”は生き続けているのだと、私は思う。

 大きくなった時に“自由”を開花させるのではなく、小さなうちに“自由”を育んでいくことが大切だ。

 だから“自由”を愛する私は、今日も命がけで過激なことを訴える。