虚構の世界の本質を暴いた血液の闇 輸血は受けてはいけない 船瀬俊介さん 説明 ワールドフォーラム

国民の死因の第一位は支配者たちのゲーム殺人であり、残酷な医猟に熱狂する”オメデタ族”によって支えられています。オメデタ信仰こそが、虚構を支える柱です。今こそ、この虚構を打ち砕くときです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4883206165/
http://www.sangokan.com/book/ketsueki.php
http://www.sangokan.com/book/gazo/ketuekichumon.pdf

●エホバの証人〝輸血拒否〞は正しかった
じつはこのとき、エホバの証人の父親は、海外の最先端の治療ガイドラインや考え方にも通じるような「無輸血で手術してほしい」という決意書を出している。
本書でもおいおい述べていくが、これは結果的にみると救命にとってもっとも正しい方針を主張したわけだが、医師たちは無知ゆえに、それを受け入れることができなかった。
この事件は、医療利権の仕掛ける洗脳から解けた状態で検証してみると、「説得」の対象がひっくり返ってしまう。
「無輸血でも手術して助けられるのだから、早く手術してほしい」と、両親やエホバの証人の信者たちから説得されていたのは、むしろ医者のほうだったのである。
そして、結果的に「輸血しなくても大丈夫だ」という説得のほうが医学的に正しかったということだ。
これは現在の治療ガイドライン的に見てもそうである。
たとえば、厚労省と赤十字社が出している「血液製剤の使用指針」(改定版)にはこうある。
「急性出血に対する適応(主として外科的適応)で、循環血液量の20~50%の出血量に対しては、人工膠質液(ヒドロキシエチルデンプン(HES)、デキストランなど)を投与する」どういうことかというと、20~50%程度の出血量であるならば、「人工膠質液」での対応が可能だと言っているのだ。
これは平成26年現在でも十分通用する。
そして、じつはこの事件で亡くなったとされる子の総出血量は、事故から50分後の段階では医師たちの推定で500cc程度と見込まれている。

つまり、手術をしようとする17時の段階では循環血液量の約20%というレベルであり、「血液製剤の使用指針」からいっても、輸血の必要などなく、膠質液で十分に代用が可能な範囲であった。
医師としては血液量に余力がなくては手術ができない(じつはこれ自体が一番の誤解なのだが……)と言うだろうが、まだ現代医学の基準でも、少なく見積もって手術を検討している段階では1000㎖近い余力があったことになるのだ。
つまり無輸血でも手術し、救命する可能性は十分にあったのだ。
改定された今の治療ガイドライン指針なら、輸血にこだわる必要はなかったどころか、輸血する必要もなかった。

●子どもは「生きたい」と証言したのか?
●「輸血同意書」を求めるワケ
●「別の選択肢」は、なぜ用意されていないのか?
●医師は訴訟を怖れる
●輸血の実態とガイドライン
●「参考書」にはなんと書いてあるか?
●「血液製剤の使用指針」は何を言っているか?