三井環さん 不正検察改革断行 「けもの道」に入り込んだ検察―暴走する日本最悪の捜査機関

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かつて「最強の捜査機関」と言われた特捜部だが、近年その強引な捜査手法に世間から疑問の目が向けられている。その背後には、時の権力と検察の間で結ばれた「ある取引」が隠されていた―。
●ドミノ倒しのように検察のストーリーが崩れていく
「凛の会」会長の倉沢邦夫氏、幹部の河野克史氏、厚生労働省の塩田幸雄部長、村木厚子局長、上村勉係長は、全員同じ起訴状で一度に起訴された。その結果、同じ裁判官が裁判を担当することになった。
 彼らを別々に起訴すれば、裁判官は別の人間が担当することになる。なぜ検察が全員一緒に起訴したのか。捜査段階で、村木氏のみが否認を貫いたからだ。まずは倉沢氏や河野氏、塩田部長や上村係長について有罪判決を得る。裁判官の心証を良くしたうえで、村木氏の裁判も有罪判決にもっていこうと考えたのだろう。否認を続ける村木氏を、裁判を通じてつぶしてしまおうと考えたのだ。
 これは検察の常套手段である。例えば私が立件された贈収賄事件についても、「贈」側の詐欺師・渡眞利忠光と「収」側の私を一度に起訴した。まず渡眞利の贈賄について有罪を確定させ、その後私の裁判でも収賄についてクロと認定した。同じ起訴状で一度に起訴すれば、渡眞利も私も同じ裁判官が担当する。片方の裁判の心証が影響し、私の裁判まで一緒に引きずられてしまうのだ。
 村木氏の事件の場合、「凛の会」の河野克史氏は起訴状に書かれている内容を全面的に認めている。起訴された内容について全然争っていないため、証人尋問も行なわれていない。残るは倉沢氏や塩田部長、上村係長だ。彼らを全員有罪判決にもっていき、その勢いで村木氏の否認をひっくり返そうと検察は考えた。
 ところが、裁判は検察の見込みどおり進むことはなかった。
 裁判においては、「予断排除の原則」がある。Aという裁判の心証が、Bという裁判の心証に影響してはいけない。AとBの裁判は、別々に分離して考えなければいけない。これが大原則だ。しかし、裁判官とて人間だ。自分がつい最近まで担当した裁判の様子は、頭にこびりつくに決まっている。現実問題として、「予断排除の原則」を完璧に徹底することなどできない。
 ドミノ倒しのように裁判を有罪にもっていこうという検察の目論見は、村木氏の事件については裏目に出てしまった。供述をひっくり返す人間が続出したため、裁判官の心は今揺れに揺れていることだろう。

●マスコミの検察批判が一部無罪判決に強く影響した

 二〇〇九年以降、検察に対する世論の風当たりはますます強まっている。それまで検察に対し、批判的な論調がマスコミ報道に流れることはめったになかった。だが、二〇〇九年から風向きは完全に変わった。
 検察に最も大きな激震をもたらしたのは、「足利事件」で電撃的に冤罪が証明された菅家利和さんの事件だ。一九九〇年、栃木県足利市で女の子が殺害された。警察・検察は、女児殺害に手を染めたのは菅家さんだと決めつけた。有罪の何よりの決め手となったのは、当時行なわれたDNA型鑑定だ。
 ところがこのDNA型鑑定が誤っていたことが明らかになり、菅家さんは二〇〇九年六月、服役中の無期懲役刑から青天の霹靂のように解放された。警察や検察、科警研(警察庁科学警察研究所)や裁判所の判断はすべて間違いだったのだ。