Video shows prisoner being shot dead by Syrian rebels
http://jp.reuters.com/video/2012/11/09/video-shows-prisoner-being-shot-dead-by?videoId=239028161
シリア反体制派が要所制圧、政府軍兵士を「処刑」か
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2910376/9767193
Syrian rebels ‘kill unarmed man’
http://www.aljazeera.com/video/middleeast/2012/11/201211924349834125.html
兵士であれ、民兵であれ、降伏あるいは拘束され、
非武装で無抵抗であれば、それを殺害することは
明確な犯罪であり、戦争犯罪です。
それが、政府軍兵士であれ、政府側民兵であれ、自由シリア軍であれ。
私は非武装で無抵抗な者を殺害することを肯定することなどできません。
だから非難します。
私のような無力な一市民が批判したところで全く何の意味もありませんが。
少なくとも私自身の小市民的で、安っぽいヒューマニズムは
守ることができるだけだという欺瞞性を自覚しつつ
私は自由シリア軍が正義の味方だなどとは思っていません。
既に大手メディアでさえ自由シリア軍による政府軍側市民への暴行・殺傷、
政府軍兵士虐殺等々が何度も報道されています。
小市民として日本の日常生活に慣れきっている私には
強烈な非日常なのですが、
シリアの人々にとっては、これが日常なんですね。
カタールでシリア反体制派が会合を開き、
統一指導部を協議というニュースを聞いたばかりだったので、
余りの偶然の一致に、何かを直感しました。
私の直感では
シリア反政府勢力内で、イスラム過激派の勢力が
これ以上伸張することを抑えようという意図を感じたのです。
そんなことは既に大手メディアでも報道されていたことではあります。
つまり反政府勢力内でヘゲモニー争いが生じていること、
欧米・湾岸諸国・イスラエルにとっては、
イスラム過激派がヘゲモニーを握ることは何としてでも阻止したいということ。
それが、この反政府兵士による虐殺映像の大々的な公開の
背後にあるのだろうなという直感です。
反政府軍側による残虐行為も結構顕著に報道されるようになってきたので
反政府側を支援してきた欧米諸国権力者達は、
反政府軍の残虐行為を非難することによって、
“どうです、私達は反政府側を支援してきましたが、
こんな残虐行為は許しませんよ、だって私達は紳士ですから”
という自己防衛も直接的な思惑かもしれません。
私のような無力な一小市民には、
国際政治のドス黒いダイナミズムは理解を超えています。
私にとっては、
シリア:パレスチナ難民混迷 内戦で互いに戦闘も
http://mainichi.jp/select/news/20121110k0000m030093000c.html
こちらのニュースの方がショックです。
レバノン内戦時と同様な事態がシリアのパレスチナ難民にも
生じているのだろうかと。
難民キャンプでの虐殺事件など起きないだろうかと。
イスラエルにとっては、イスラム過激派がヘゲモニーを持つ国と
国境を接するより、アサド政権の方が、かなりマシなのです。
父アサドは米軍と共に湾岸戦争に従軍し、
1973年以降は直接的な脅威ではなくなっていたのです。
最近では、一種”安定”した関係でもあったのです。
ただ、21世紀に入ってからは、ヒズボラが直接的脅威となります。
ミサイルをイスラエル国内に撃ち込んでくるのですから。
そしてヒズボラの背後には、シリアがおり、イランがいるわけですから、
ヒズボラを弱体化するには、シリアを弱体化する必要があるのです。
イスラエルにとって、
<アサド政権を弱体化させ、且つイスラム過激派にヘゲモニーを握らせない>
これがベストだと私には思われます。
しかし現実政治のリアリズムにおいて、
そうそう上手くいくかどうかには不確定要因が多くあります。
とりあえず、シリア反政府軍兵士による虐殺映像の公開は、
イスラエルのベストの意向に沿っていると私には思えます。
それが上手くいくかどうかは、まだ誰にも分からないでしょうが。
私には、実は、そんなことはどうでもよいのです。
私にとっては、一般市民が悲惨な状況に
置かれていることこそが気がかりです。
まあ安っぽいヒューマニズムですけどね